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北見のボールルームダンスと趣味の話
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今日の昼はめちゃくちゃ暇だったので、夕方タイヤ館北見にいって来ました。
目的はホイールについて聞いてくることです。 ここ数日、ネットでホイールについて勉強したのです。 サイズ表記の読み方からね(^.^)
だがどうもわからない。
ホイールのリム幅は9Jなどとインチ表記なのに、なぜタイヤの幅は235などセンチ単位なのか。 という疑問は解決しなかったのですが(笑)、僕はタイヤ幅とリム幅はだいたい同じでなければならないと思っていました。 スタッフのみなさんが、ご自分の車のホイールをわざわざ運んできてくれてまで説明してくれたので、タイヤ幅とリム幅はかなり違ってもアリだということがわかりました。 リム幅よりもタイヤ幅が小さいと、ひっぱり、その逆はでっぱりになるんですね。ふむふむ。 将来的に、リアを太いタイヤにしたくなることを考慮して、リアは9J がいいんじゃないかと。それなら255までいけてしまうし、今の235でもひっぱりではけると。 なんかペースあがってきた!まずい、このままでは買ってしまう! ちょっと考えてみますと答えて帰ってきました。 でも世界でスープラ以外の車に興味がなく、世界でグラムライツの57PROにしか興味がないなら、買ってもいいのかな、と思いま
した。タイヤ館のスタッフのみなさんの熱意で(笑) 問題はいつなのか、ということだけだな。

 大復活飽きてきた・・・
XBOXには「実績」というプレイヤーについている点数のようなものがあって、各ゲームに通常1000点の実績ポイントがあるんです。ゲーム中その課題をクリアすると、「実績解除」となり、プレイヤーの点数がアップするという。たくさんゲームをプレイしているほどゲーマーポイントが高く、ゲームの世界では尊敬されるという仕組みです。

これがプレイのモチベーションになっていると思うんですけど、「最終ボスを撃破」とか無理難題以外の実績を概ね解除してしまったので、どうも「目的意識」が薄くなってきています。まあゲームは楽しみでプレイするものですから、楽しくないならプレイしない、というだけなんですけどね・・・(^-)


今車検中です。
僕の手に渡ってきたときのスープラさんの走行距離は8万7千キロ。現在約11万キロ。
10万キロを超えるとアレでしょ。タイミングベルトとかでしょ。

ということで車検のついでに、と考えていたんですけど、やはり不景気なもので車検代だけでも僕にとっては莫大な費用という印象なので、今回は見送り・・・と考えていたら、いつも親切なタイヤ館の店員さんが、「あれ?チラッとタイミングベルト交換の話が出たので発注しちゃってますよ!」と。ええ!そうなんか。そうなんかい!

だけど費用の関係もあるし、今回はねえ・・・と渋ると車検の整備料を割引してくれて、その中に工賃が含まれるようにしてくれるらしい。おう、これはどうするかな。どうせいつかはかかる金。だったらやってもらおうか、と。

ということで、車検の後日に考えていたタイミングベルト交換と、プラグ交換をお願いしてきました。
プラグはイリジウムプラグという一番いいやつで、と。寿命が長くパワーもあるそうです。知らん。
もっと勉強して車メカに強く、少なくとも専門的な話が理解できるようになりたいなあ。

僕の車のエンジンである2JZ-GEはターボのGTEと違い、スロットルなんとかがエンジンの真上を通過しているので、なんだかプラグ交換が面倒らしい。まあ10万キロを交換の目安とされているパーツは交換してもらったほうがいいよね。

c13.jpg









 お客さんとダンス上達が難しいという話から、自分がイメージしている「脳と自我」の関係と、他の人が考えている脳と自我の関係性がかなり違っているのを理解した。

 僕が思うに、脳なんてのは単なる計算機か、記憶の保管庫としての働きしかしないと考えている。
僕はイラストのように、頭の中に自分と脳という2つの存在があると思い込んでいる。

実は人間というのはこういう仕組みでできているんだと思う。
もし、僕が記憶を失ったとしたら、その人間は「藤代将輝」だと言えるだろうか?姿かたちが同じだ、という理由では、人間が「その人だ」という特定の証拠にはならない。
ではそっくりさんと本人は同一だろうか?否。

人間の肉体も、脳もただの入れ物にすぎないという発想。
脳はただの入力(インプット)に対して出力(アウトプット)をする単なる計算機でしかない、という発想。

では人間が「ものを考え結果を出した」という現象は、自我が脳という計算機に情報を入力し、出力することではないか?

記憶などを保管する保管庫として、単なる計算機としての働きしかない脳に支配されては、とても自分が望む結果は出力されないだろう。脳にクリエイティビティ(創造性)や判断力などなからだ。創造性を持つのはあくまで「自分・自我」だ。

ダンスにおいても重要なのは、「自分の望む結果を出力」することであるから、望む結果が出力されるように、自我が単なる計算機を操作する、というイメージ。

そう思い込むと、単に計算機に入力する値を変化させれば、出力も変わる。自分の理想的な結果が出力されるまで、いろんな入力を試してみる。だが脳と自我が同一のものと認識してしまっていると、入力はあくまで「他人・他者・状況から受けるもの」としか判断できず、「自分で自分を変える」という意味がわかりづらい。

焦ったり、困ったり、ピンチ状態になると、「自分」が「脳」のコントロールをやめてしまって、間違った出力がバンバンされてしまうという。脳に判断能力がないのだからそれは仕方ないか。常に脳のコントロールを放棄しない努力が必要だと感じる。

いろんな話をして、自分が他の人とは違う現実認識をしているなあって思いました。それが正しいか誤りかはわからないし、正誤で判断するものでもないから、単なる好みなんですけどねw

CIMG1194.jpg うちの実家の猫ちゃん、スターキラー(旧名デトネイター)が恐竜に夢中になっていた。
久々に実家に食事をしにいったところ、NHKで恐竜の番組を放送していたのですが、これに見入っている。

スターキラーがテレビを見る姿は今まで一度もありませんでしたが、なぜか猛烈に見ている。
テレビに恐竜が映らなくなると興味を失い、その場で丸くなるのですが、画面に恐竜の骨格や、CGで再現されたシーンが写ると瞬間的に向きを変えて、おすわりしてじっと画面を見る。

最後は手が伸びてテレビ台にタッチしてたくらい。
うちの猫はなぜ恐竜に興味があるのか?もしかして自分を恐竜のような生き物だと思っているのか。
仲間だと思っているのか?

恐竜の番組が放送される予定も知らないし、その時間に実家にいけそうにないので確かめられない。
ということで、今度実家にいくときにレンタルビデオで「ジュラシックパーク」を借りてきてみる。
うちの猫ちゃんは見入るだろうか?
CIMG1952.JPG







 よく出来てるよね。おいしそうだ。
ストラップの中身は選べませんって書いてあったので、遠慮したらポテトだった。でももらってみると、薄いビニールの袋に入っているジャンか。これなら手触りでハンバーガーもわかるはず。

ということでこのストラップ欲しさにもう一度アタック。
店員さんに「手触りがハンバーガーっぽいやつください。文句言わないから!」と迫ったらなんとか選んでくれたようです(^^)

大好きなビッグマックが当たったとビニールの手触りで感じて喜んでいたら、ダブルクォーターパウンダーチーズだった(^^)
 誰しも今までの人生に悔やまれることがあるでしょう。
人間ふとした瞬間に、そういった悔いのことを考えているときがありますよね。
人間そうやって、過去の悔いを忘れず、次に生かしながら生きていくわけです。

ということで、自分としてはどうだろうか?あります。俺にもあります。悔いの残ることが。それを風呂に入っているときに思い返してしまった。書いてみる。

1、小学生時代水泳の時間の着替えのこと

 今の小学校は知りませんけど、自分らの小学校では水泳の時間、水着に着替える更衣室がなかった。なので女子も男子も一緒に教室で着替えることになるのですが、そこにはテクニックが入ります。みんな秘部を見られたらかっこ悪いし恥ずかしいもんだから、タオルでがっちりガードして着替えます。しかしいるんですよね。堂々と全裸になって着替えるやつが。そういうやつを見てうらやましいと思ったりもします。
で、女子でもいたんですよ。スズキヤスヨは女子なのに全裸着替え。
ガードのためにタオルをポンチョのようにお母さんに縫ってもらって、頭からかぶって使ってるやつもいましたが、僕はといえば普通に腰にタオルを巻いてコソコソ着替えます。しかし手違いでそのタオルがずり落ちそうになったのです。
 「やべっ!」って思って、すぐさま僕は椅子に腰掛け、気取られないように着替えを完了させようとがんばります。コソコソと。
するとそこへ全裸のスズキヤスヨが来て「おしり、見えてるよ」と勝ち誇ったように言うのです。
僕はとっさに、
「知ってるよ」と答えました。
実は知りませんでした。おしりが見えていることなんて知りませんでした。恥ずかしくてそのまま着替えを強引に終わらせました。
おしりが見えていることを知らなかったのに「知っている」と答えてしまいました。悔いが残ります。


2、米田先生の教室へ、コウ先生のレッスン見学に行ったときに、一緒にずっこけられなかった。

 釧路の若き獅子、コウ先生が米田先生の旭川教室にレッスンを受けているとき、木村教室時代の俺はうらやましくてついていった。その日コウ先生はサンバのレッスンを受けていたのですが、僕はじっと椅子にすわってレッスンを見学していました。米田先生の的確かつ大胆なレッスンを受けるコウ先生。ゆっくりとしたカウントで習っていましたが、「1、あ2-、3、あ4-」と習ったのに、コウ先生は緊張のためか「1、あフォー」と言ってしまいました。その瞬間、教室の米田先生や米田先生のパートナーの先生、そして旭川教室の先生らが一斉にずっこけました。俺は緊張しすぎてコケるタイミングを逃してしまった。一緒にコケられなかった。
悔いが残ります。

まだまだ悔いが残ることがあるのですが、お客さんが来たので今日はここまで。

 ひさびさの更新ですね。忙しいわけじゃないんですけどね。
常にくだらない疑問が頭の中を渦巻く僕の疑問。

それが「乳首」です。

パパ、ママ、2歳の息子という3人家族がいたのですが、そこへ4人目の家族が誕生しました。
つまり長男に続き次男が生まれたわけですが、生まれたばかりの赤ちゃんがお母さんのおっぱいを占領しているのが、2歳になったとはいえお兄ちゃんは面白くありません。
そこで夜になるのをまち、お兄ちゃんはママの乳首に毒を塗りました。
朝パパ死んでた。

まあこれはジョークなんですけど、「首」というからだの部分って、必ず「どこかとどこか」をつなぐ途中のことを言いますよね。
頭と胴体をつなぐ「首」
手と腕をつなぐ「手首」
足とすねをつなぐ「足首」

じゃあなんでおっぱいの先端は「乳首」っていうんですかね?だって乳首から先がないじゃないですか。
どこかとどこかをつなぐのが「首」であれば、乳首より先がないとおかしいですよね。
まあウィキで調べると乳頭ともいうらしいですけど、一般的にはおっぱいの先端は乳首っていうじゃないですか。


ということで、素朴な疑問であってもカウンターにいるお客さんに遠慮介錯なしに質問してしまう俺。
エルナーカウンターの結論としては、「乳房」と「乳頭」をつないでいる、境目はないけどもそこが「乳首」らしい。
つまりいわゆる「乳首」の、先端方面が「乳頭」で、付け根付近が「乳首」だと。
なんか納得いかないな。

 月曜の夜にアップする予定だった小樽C級戦その3。楽しみにしていた人ごめんなさい。ってそんな人いねーか。

 なんか最近ですね、男性一人でくるホモの客がいまして。それが俺をターゲットにしているらしい。ほんとカンベンしてくれって感じです。で、アップできなかったというわけです。

 ホモといえばたいていサトキチ君をターゲットにするんですが(笑)。今までの傾向では、ね。
なんか俺らしい。
さすがの元カラテカの俺もちょっと怖い。喧嘩強くて怖いとかそういうのとは異質な怖さにおびえています。
もうこないで欲しいな・・・((((;゚Д゚)))ガクブル
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藤代将輝
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 北見のダンスホール&カラオケ、エルナー2のブログです。

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