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北見のボールルームダンスと趣味の話
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 お客さんとダンス上達が難しいという話から、自分がイメージしている「脳と自我」の関係と、他の人が考えている脳と自我の関係性がかなり違っているのを理解した。

 僕が思うに、脳なんてのは単なる計算機か、記憶の保管庫としての働きしかしないと考えている。
僕はイラストのように、頭の中に自分と脳という2つの存在があると思い込んでいる。

実は人間というのはこういう仕組みでできているんだと思う。
もし、僕が記憶を失ったとしたら、その人間は「藤代将輝」だと言えるだろうか?姿かたちが同じだ、という理由では、人間が「その人だ」という特定の証拠にはならない。
ではそっくりさんと本人は同一だろうか?否。

人間の肉体も、脳もただの入れ物にすぎないという発想。
脳はただの入力(インプット)に対して出力(アウトプット)をする単なる計算機でしかない、という発想。

では人間が「ものを考え結果を出した」という現象は、自我が脳という計算機に情報を入力し、出力することではないか?

記憶などを保管する保管庫として、単なる計算機としての働きしかない脳に支配されては、とても自分が望む結果は出力されないだろう。脳にクリエイティビティ(創造性)や判断力などなからだ。創造性を持つのはあくまで「自分・自我」だ。

ダンスにおいても重要なのは、「自分の望む結果を出力」することであるから、望む結果が出力されるように、自我が単なる計算機を操作する、というイメージ。

そう思い込むと、単に計算機に入力する値を変化させれば、出力も変わる。自分の理想的な結果が出力されるまで、いろんな入力を試してみる。だが脳と自我が同一のものと認識してしまっていると、入力はあくまで「他人・他者・状況から受けるもの」としか判断できず、「自分で自分を変える」という意味がわかりづらい。

焦ったり、困ったり、ピンチ状態になると、「自分」が「脳」のコントロールをやめてしまって、間違った出力がバンバンされてしまうという。脳に判断能力がないのだからそれは仕方ないか。常に脳のコントロールを放棄しない努力が必要だと感じる。

いろんな話をして、自分が他の人とは違う現実認識をしているなあって思いました。それが正しいか誤りかはわからないし、正誤で判断するものでもないから、単なる好みなんですけどねw

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HN:
藤代将輝
性別:
男性
自己紹介:
 北見のダンスホール&カラオケ、エルナー2のブログです。

北海道北見市美芳町8丁目1-22
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